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Dereb Desalegn(デレブ・ダサレン)
DEREB THE AMBASSADOR ヴォーカル
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DEREB THE AMBASSADORことDereb Desalegn。
エチオピア北部ゴンダールのアズマリ(伝統楽師)の家系に生まれ、わずか4歳の頃から両親とともにステージに立つ。10歳の頃、家族でゴンダールを引き上げアジスアベバに移住。このころからストリートやナイトクラブでマシンコ(エチオピアの伝統楽器・一弦ヴァイオリン)を弾き語り、両親や幼い弟妹の生活を支えてきた。

18歳でエチオピアを出奔し、オーストラリアへ移住。遊び盛りには衝動を抑えきれない華やかな夜の世界と母国での生活とのギャップ、音楽で身を立てる夢とままならぬ現実の狭間で起きたカルチャーショックとアイデンティティ・クライシス。希望に満ちた新天地で彼を待っていたのは深い暗闇の世界だった。異国の地で悩み、苦しみ、孤独に苛まれる彼の救いは、一足早く同国へ移住した叔父の歌だった。天性のミュージシャンであるDerebは、叔父の奏でる音楽に微かな光を見出し、母国エチオピアで2つのアルバムをリリース。その中の収録曲、2003年のヒットチャートNO.1に輝いたウォッロ(Arib)が彼の出世作となり、一躍Derebをエチオピア・ショービズ界におけるスターダムへと押し上げた。しかし同時にアズマリ(注1)という彼の出自を揶揄し、蔑む人びとによって傷つく機会は増え、このことが彼の音楽活動から自身のアイデンティティとも言えるエチオピアの伝統楽器マシンコを遠ざけてしまう。彼は心の奥深くに渦巻く深い哀しみや怒りを音楽に昇華させることで自身の音楽性をさらに高めていった。

エチオピアでの成功体験はDerebを奮起させた。オーストラリアにおいても音楽活動を本格始動。2006年にNicky Bombaとのユニットで‎ アルバムDrums And Lionsをリリース。その後、在豪ミュージシャンらとDEREB THE AMBASSADORを結成、国内外の多くのフェスに出演。2011年、エチオジャズ黄金期にその一翼を担ったTilahun Gessesse、Mahmoud AhmedやAlemayehu Esheteの名曲を独自のアレンジでカバーしたアルバムDEREB THE AMBASSADORをリリース。同年、母国エチオピアへの凱旋ツアーを果たす。2013年には東京JAZZ・いわてJAZZ出演のため来日。2017年、単独来日公演。2018年には7年ぶりのニューアルバムETHIOPIAをリリースし再来日、LIVE MAGICに出演。

在豪歴20年にして当地でもアムハラ語(エチオピアの公用語)の歌詞に拘り歌い続け、Heavy Ethiopian soul funk and dirty rhythmsという独自の境地を切り開いた。
エチオピア伝統音楽を正しく理解する数少ないミュージシャンであるDerebは、エチオジャズ黄金期のレジェンダリーアーティストと若手アーティストを繋ぎ、エチオピア伝統音楽と西洋音楽を繋ぐ唯一無二の存在だ。今後の活動から目が離せない。

(注1)アズマリとは、エチオピア北部ゴンダール地方の職能集団。音楽を生業とし、男性は主に伝統楽器マシンコを弾き語り、女性はマシンコが奏でる音楽に合わせ歌い踊る。エチオピアでの社会的ステータスは一般的に低く、時に差別の対象とされることもある。

◆DEREB THE AMBASSADOR
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