世界各地にその土地に伝わる伝統舞踊があるように、エチオピアにもまた土地に伝わる伝統舞踊がある。
他民族国家のエチオピアにおいて、伝統舞踊は民族舞踊と言い換えた方がよりわかりやすくいかもしれない。
エチオピアの人びとにとって、自分の属する民族のダンスは、アイデンティティーの象徴でもあるからだ。
エチオピアには、80を越す民族が暮らす。変化に富んだ地形や気候を有し、それに応じた生業を持ち、世界でも希有なキリスト教とイスラム教が争うことなく共存する国だ。
そこには、民族の数以上に民族舞踊が存在し、地域の祭りや祝いの場で愛好されてきた。
しかし、こうした民族により異なる伝統舞踊が全国区となったのは以外と最近のことらしい。
1974年、クーデーターにより軍事政権下となったエチオピアにおいて、民族舞踊は娯楽の一部と見なされ弾圧を受けたと聞く。
ところが1991年、エチオピア人民革命民主戦線により政権が奪取されると事態は一変した。
民族舞踊は、政府の掲げる民族融合のプロパガンダとして一気に祭り上げられたのだろう。
国営放送では、番組の合間に盛んに民族舞踊の映像を流すようになり、劇場では民族舞踊のショーが頻繁に公演されるようになった。
アジスアベバを中心に、レストランやナイトクラブでも民族舞踊のショーが楽しめるようになり、こうして地域に根ざした民族舞踊は一気に国中に浸透していったのである。
ショーに出演するプロのダンサーたちは、自らの出自に関わらず、エチオピア各地のダンスを習得し、エチオピアの多様性を自らのパフォーマンスを通じて訴える。
プロとして鍛えられた彼らの感性は豊かだ。地域に伝わる民族舞踊を、どんどんデフォルメし、ショーアップしてゆく。
最近では、人気のオーディション番組で、プロ顔負けのダンスを披露する若手アマチュア・ダンサーたちの活躍も目立つようになった。
更には、移民の多いエチオピアならでもはの発展形として、移民先の文化に誘発された独自スタイルの逆輸入というパターンもある。
伝統とモダンが交錯するアジスアベバで、古くて新しいエチオピアの民族舞踊は進化を続ける。
アートは生き物だ。伝統に拘るあまりひとつところに留まっていたのでは、やがて廃れてしまう。
3000年の歴史を持つエチオピアのアートが、決して色あせることなく存在し続ける背景にはこんな秘密が隠されているのかもしれない。